Kamekubo shinmei jinja

ご由緒

御祭神 [天照大神(あまてらすおおみかみ)]

当社の正確な創立年代は不詳ながら、慶長三年 (1598年) の創立で天照大神を祀り、 当初より村の産土神として崇敬されています。 新編武蔵風土記稿などから、地蔵院が当社の別当をつとめていた事が明らかです。 口伝によれば天文十五年 (1546年) 四月二十日川越夜戦(上杉氏と北条氏との戦い) の時敗れた斉藤利長信広親子(斉藤別当実盛の子孫)は入間郡野老沢(所沢) 弘冶二年 (1556年) 九月二十一日京都より所沢に神明社を勧請したといわれています。 信広より六代目の次男勝之蒸は出家して恵海法印と称して亀久保地蔵院座主となり、 享保年代に所沢の神明社を木の宮稲荷社の地へ勧請し,自ら地蔵院別当となったということです。

かっては、境内に周囲一丈三尺(4m)ほどに及ぶ老杉があり、古社としての風格を色濃く残したといわれます。 拝殿には宝暦八年 (1758年) 明和二年 (1765年) 寛政十一年 (1799年) など古い大絵馬を奉納するほか境内に天保十二年(1841年) の手水鉢や、力石四十貫(160Kg) と三十貫 (120Kg) の二つが現存しています。 明治五年 (1872年) の社格制定の際、古社であり、また一村の鎮守であることから村社となりました。 大正十二年 (1923年) 四月に神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定され現在に至っています。